2009年07月19日

宮古島の神歌と古謡

日本の声・日本の音と題された第25回<東京の夏>音楽祭2009に行ってきた。

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18〜20日の3日間、宮古島に伝わる神歌や民謡を島に暮らす演奏者たちを招いて公演が行われた。ここで聴くことができた歌のいくつかは、もしかしたら、もう二度と見ることの無い貴重なものとなるかも知れない。

というのも、出演者の最高齢は96才。
宮古島諸島の中にある池間に伝わる神歌を長年、神に唱え続け、伝えてきたおばあたちだ。


宮古島で古くから歌いつがれて来た神歌と古謡は琉球のブルースだ!

この公演をプロデュースし、当日もナビゲーターを自ら務めた久保田麻琴氏のことばだ。

「やられた!」と思った。
全く関係のないことだが、個人的に紹介しているモーラムについて
ずっと以前から暖めて来たフレーズと同じだったからだ。

 宮古島の人々は古くから琉球王朝によって、人頭税という未曾有の辛苦の中から祈りや願いを神に託そうとこの神歌と古謡を生み出したという。翻ってモーラムも、絶対権者である国王や逆らうことにできない自然、そして日々の暮らしにまつわる事柄をラムという節に乗せて即興で歌っていたものだ。それは、その時その時に沸き上がる心の叫びであり、まさにイサーン人のブルースと言うべきだと思っていたのだ。



 久保田麻琴氏とは、わたしがバンコクに住んでいたころに、氏がタイの音楽について教えて欲しいと突然電話をいただいた時からの付き合い。後に「Hotel Bangkok」として発表された作品に収録された音源を録音するために彼がバンコクに滞在していた時だった。その時の思い出話はいくつかあるのだが、また別の機会にしよう。今回の公演は、久保田氏からお誘いを受けてというか、半ば強引に招待してもらったという方がいいかも知れないが、ともあれ、非常に興味があったのだ。




 確か2年くらい前だったと思うが、久保田氏から電話をいただき、宮古島ですごいのを見つけたという話を聞かされたのだが、まさかきょう、こうして東京で見ることが出来るとは思ってもいなかった。
その時に録音され、リリースされたのがこれ↓

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その後つい先日、久保田氏が率いるユニット「Blue Asia」名義で発表された「Sketches Of Myahkicon」は、これまでのホテルシリーズとは完全に一線を画したものとなった。

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(ミャークとは現地の宮古の呼び名)icon








15時を少し過ぎて始まった公演。一番手は人呼んで「西原(ぬしはら)キャンディーズ
87、91、93才のおばあ3人。

本来、門外不出とされて来た神歌「神願い綾語(かんぬぐいあーぐ)」であるが、このままでは消え絶えてしまうという思いから久保田氏の録音に参加したという。
それぞれに脇を支えられながらの登場だ。お歳を先に聞いていれば、誰しもがその姿に不安を覚えただろう。しかし、一度歌い始めるとそのしっかりとした歌声と自然に動き出したのであろう、手の動きに聴衆も自然と釣られて自らの手を動かしていた。
会場には、宮古島はもとより沖縄諸島の出身という観客も多く、久しぶりに聴いたであろう響きとリズムに酔いしれるようにしている。

3人は5曲ほどをときに朗々と、ときにはリズミカルに歌ったのだが、最後には最高齢のおばあがカチャーシーを打ち鳴らしながら立ち上がった。すると会場のあちらコチラでも待ってましたとばかりにカチャーシーが聞こえてきた。間髪を入れずに威勢のいい指笛の間の手も入る。おばあたちが「どうか消さないで」と願いを込めて歌う神歌に若い聴衆たちが「わかったあとは任せろ」と言っているが如くに返礼をしている。手拍子とカチャーシーにのって、神へ捧げた歌は波のような手の舞いに煽られるかのように会場を一つのうねりに包んでしまった。そのど真ん中でかつて味わったことの無い感動に涙がこぼれる寸前の自分がいた。



続いて登場したのは、久保田氏にして神童と言わしめた天才少年「譜久島雄太」。
父の太鼓と母の囃子がバックを務める中で1曲を終了。三線を弾きながらの堂々たる歌いっぷりは、11才とは俄に信じ難い思いにさせる。会場からの「雄太!」の声に照れ笑いを浮かべて2曲目が始まる。。。
少し歌ったところで、何かしくじったのだろうか腕を顔に当てて「しまった!」というような仕草を見せる。父と母がそのまま代わりに歌っていく中、三線だけは弾こうとするがまたしても腕を顔にあてて、今度は泣き出してしまったようだ。会場では応援の拍手が沸き上がり、あちこちから「がんばれ!」とかけ声が飛ぶ。演奏が終わっても腕で顔を覆ったままの雄太のところにに久保田氏がたまらず駆け上がる。そして、抱きしめながら「少し休むか?」と聞いたのだろう。「ちょっと休憩を入れましょう。」と会場に同意を求めると雄太クンはすかさず首を振る。会場から今度は、驚きと感心の拍手が巻き起こった。小さな身体でまだ11才。余程、負けず嫌いなのか。見上げた心意気だ。

そのあとはテンポのいい宮古の民謡を3曲歌い、会場はまさに割れんばかりの拍手で小さな天才を見送った。


多良間の古謡、伊良部島佐良浜地区の神歌と宮古の神歌とそれぞれの演者が見事な歌を披露していったのだが、これらについての知識も経験もない自分には、どう説明していいか言葉が出て来ない。
しかし、今回のこの公演に至るまでを記録した映画が来春に公開されるという。公開日などがわかったらいずれこのブログでもお知らせできいると思うので、もし、興味を持った方はぜひ見に行って欲しい。
3時間を超えた公演の最後はクイーシャー(沖縄で言うカチャーシー?)で来場者、演者入り乱れて踊り
「また来年もぜひやりたいね!」という久保田氏の言葉で幕を降ろしていった。






あとがき

 この公演の最中に、演者と一緒になって歌い踊る宮古や沖縄の人々を目の当たりにして、わたしはその輪の中に入っていくことはできなかった。それは一つには彼らへの尊敬と礼儀として。もう一つは、モーラムを初めて体験した時と同じような感覚に襲われていたのだ。そして、その感覚はかつて、エリック・クラプトンのコンサートを武道館で初めて見たときにロバートジョンソンの曲を聞いた時に身体中に電流が走ったかのような感覚に襲われた時のことをまざまざと思い出させたのだ。冒頭での久保田氏の言葉「琉球のブルースだ」との例えは、計らずともわたしの身体を走り抜けた感覚として見事に立証された形になったのだった。

 日本人として誇るべき音楽は、まだまだ埋もれているのかも知れない。もしかすると人知れずすでに消えてしまったものもあるのだろう。事実、この宮古でもいくつもの神事や神歌が消えてしまったという。そのことは日本人としてだけではなく、人類として、その証しとして後々まで守り、伝えていくべきものだ。それができないような世の中となっている現在。温暖化の問題と共に、もはや今、手をつけなければ二度と私たちはこの歌を聴くことはできなくなるだろう。雄太クンのような子どもたちが、もっと伸びやかに感性を生かせる世界になることを願わずにいられない。




参考記事(HMVサイト): ・久保田麻琴の旅、宮古島へ ・久保田麻琴 インタビュー



posted by そむちゃい at 20:51| Comment(0) | TrackBack(0) | イベント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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